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2010年10月4日月曜日

刑場の公開と死刑の存廃議論

法務省 死刑の刑場を初公開

法務省は、死刑制度について国民的な議論を喚起したいとして、東京・葛飾区にある東京拘置所の死刑を執行する刑場を報道各社に初めて公開し、撮影を許可しました。

刑場の公開は、千葉法務大臣の指示を受けて行われたもので、全国に7か所ある刑場のうち、27日午前、東京・葛飾区にある東京拘置所の刑場の撮影が初めて許可されました。撮影は実際の死刑執行の手順に従って行われ、遺言の聞き取りなどが行われる「教誨(きょうかい)室」や、死刑の執行が行われる「執行室」など、関係する5つの部屋で撮影が許可されました。「執行室」で、死刑囚は赤い線で囲まれた「踏み板」の上に移され、滑車からつるされたロープを首にかけられたあと、踏み板が開いて死刑が執行されるということです。また、刑場全体は空調が効いており、香のにおいがしていました。法務省は、死刑囚の家族の心情に配慮するなどとして、情報の公開には慎重な姿勢をとってきました。刑場の公開も、国政調査権に基づいて過去に国会議員を対象に3回行われただけで、その際にも撮影は認めなかったということです。今回の映像の公開について、千葉法務大臣は「裁判員制度を実施していくにあたって、さまざまな判断をしたり、刑罰についての議論を深めるたりするきっかけにしてもらいたい」と話しています。刑場の公開について、全国犯罪被害者の会の岡村勲代表幹事は「公開の法廷で言い渡された死刑をどういう場所で執行したのか、刑場のことも含めて国民に公開するのは当然だ。ただし、死刑のあり方について検討する法務省の勉強会の中に絞首刑の場面を想像させることで、死刑制度の存廃の議論に踏み込むという考えがあるとしたら問題がある。死刑執行の手段と、死刑制度が必要かどうかという議論は別の問題だ。世論調査では国民の80%以上が死刑を支持しているし、被害者の遺族がいかに苦しみ続けているのかということに十分思いをはせて議論してもらいたい」と話しています。刑場の公開について、日本弁護士連合会死刑執行停止実現委員会の小川原優之事務局長は「刑場が公開されるだけでは『死刑はこれほど厳粛な場で執行されている』という印象だけを与え、死刑制度を維持するための情報操作にもなりかねない。死刑の存廃について国民的議論をするには不十分だ」と指摘しています。そのうえで「国民が望んでいるという世論調査の結果が制度を維持する最大の要因になっているが、死刑制度を検証するための十分な情報は国民に与えられていない。刑場が公開されたからいい、というとらえ方ではなく、死刑存廃の議論のために十分な情報が公開されているかという観点から考えていく必要がある」と話しています。刑場を報道各社に公開し、撮影を許可した理由について、千葉法務大臣は記者会見し、「裁判員制度の導入によって、裁判員の皆さんには最終的な刑罰に対する判断もしていただくことになる。どんなあり方がいいのか、議論する時期に来ている。皆さんが納得できる方向での十分な議論が行われるべき時期にきている」と述べました。

2010.8.27 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100827/k10013605571000.html


死刑ってなんのためにあるんでしょうね

犯罪の予防のため
犯罪者に責任をとらせるため
犯罪被害者またはその遺族への配慮のため

いろんな側面があるように感じます

すくなくとも「国会議員としての信任(=参院選での得票)が得られなかったことの批判を逸らすため」に執行されるものではないです

今回、刑場が公開されたことで国民的議論は進むでしょうが、情緒的・感情的な議論にならないか心配しています

引用した記事中に日弁連に身をおく人間の発言があります
『死刑はこれほど厳粛な場で執行されている』という印象だけを与え、死刑制度を維持するための情報操作にもなりかねない

情報公開は大臣の公開指示に従って淡々と行われました
それが「情報操作に繋がる」なんて発言自体が情報操作にほかならないでしょう

特に法務大臣の千葉氏の発言「裁判員の皆さんには最終的な刑罰に対する判断もしていただくことになる」が、裁判員に死刑判決を出すことをためらわせることになるのではと強く懸念します

少し話がそれます


死刑は誰が判断するものか
それは私は、法が判断するものだと思います

検察官や裁判員は法に照らして、その量刑がどのくらいかを「確認する」
(日本の判例主義もその根拠を裏打ちします)

刑の執行に当たっては、絞首台の足場をなくすスイッチが1つ、それ以外にも2つの関係ないスイッチがあって、3人が同時にスイッチを押す

これも「誰が刑を執行したか分からなくする」と言うより、「誰も刑を執行しなかった」、つまり「法が刑を執行した」とするための措置だと私は受け止めます

千葉氏が「裁判員のみなさん」に限定して行った発言は不用意なものだと感じます
「国民の議論に資するため」に行われたはずの刑場公開が、みずからの死刑反対の立場からくるものではないかと疑念を抱かずにはいられませんでした


公開を受けて死刑の存廃議論は(政局にもよるでしょうが)加速していくことでしょう

社会党の流れを汲む人が民主党にはたくさんいて、「自分は社会の良心」みたいな立場で少数派の意見を国会に直接もってくるのが私には許せません

本来なら中立な立場から世論の形成、または醸成を目指すのが行政の役目

マイノリティな「社会派の活動家」に過ぎないはずが、国家権力を操作する立場にあり、あまつさえ世論を無視する形で死刑執行の書類にサインするのを拒んできた

国民的な議論がなされていないとの主観で死刑制度に疑問を呈しながら、実際には議論を誘発する方策をまったく持たずに放置した

イデオロギーの体現に偏重して国民の問題意識を育てることをせず、ただ手をこまねいているばかりでは政治の不作為に過ぎないでしょう

私は次のことに注意しながら、慎重に議論を重ねていくべきだと思います
・国民の意識と関心を高め、存続にしろ廃止にしろ外国や反対派に国民一人ひとりが説明できるだけの十分な知識を持てるようにすること
・存続の方向なら、冤罪がなくなる仕組みを確立すること
・廃止するなら、①死刑に変わって終身刑の創設をし、社会への影響をできうる限り最小限にとどめること、②被害者や被害者遺族が納得できる理由をきちんと用意すること、③(犯罪予防の側面もあったことから)凶悪犯罪が減るようなお一層の努力を払い、警察の警察権と司法の量刑を思い切って見直すこと


「世論が賛成している」は重要な要素ですけど、世界へ説明するには必要十分な理屈ではないですね

なんのために必要なのか、国民一人ひとりが考える時期が今なのかもしれません


ところでよく「世界的な流れで死刑は廃止の方向」って圧力がありますけど
「世界的に見て犯罪率が低い」日本がなんで他国からの干渉を気にしなければならないのでしょうね


2010.8.27

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