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2010年10月4日月曜日

子どもの名前 親の領分

「人は生まれを選ぶことはできない」なんてよく言います
「親を選ぶことはできない」でも良いんですけど

名前も自分で選ぶことができないですよね

だけど親になったら、子どもの名前を決めることができる
そんなとき、何を思って子どもに名前を授けるのでしょう

最近、選択的夫婦別姓の法案に右派が「家庭を崩壊させるものだ」と反発を日増しに強めています

正直、日本の戸籍をこれ以上複雑にするなというくらいにしか興味はありませんが、「そんなのより変な名前をつける親を取り締まれる法を作りなさいよ」と感じることしきりです

立場上、色々な名前に触れる機会が多いのですが、それにしても「変」としか言いようがない名前が多い

実名を出せないのでたとえになりますが、証券保管振替機構の愛称「ほふり」が数年前(もっと前かな)にテレビでちらほら流れたとき、「えぇっ!?」と声を上げてしまいました

「ほふり」→「屠り」を連想したのは私だけでしょうか
名前をつける前に辞書を引かないのですかね?

昔から子どもに「世界でたった一つだけの名前」をつけてやる親はいました
だけど、最近の変な名前をつける風潮、とても奇妙なんです
ただ変なだけでなくて、意味が分からずにつけているとしか思えないものがものすごく多いんですよ

やたら凝っているのに、一般常識があれば異常だと分かる点に気づかない
携帯電話で漢字を調べているんじゃあるまいか、などと勘繰ってしまいます

名前なんて一生ついてまわるものに踏み込むのに、自分勝手な思い込みで「たった一つだけの名前」を押し付けるなんて、おこがましいことこの上ないですね

だいぶ前に「悪魔ちゃん」と名づけようとしている事件(事件?)がありましたね
悪魔ちゃん命名騒動 wikipedia

あのときは「親権の濫用を理由に不受理」となったそうですが、現在の日本社会だったらあの件をどのように受け止めるのか、とても興味があります

さて、私が常日頃から感じている一言を添え、短いですがこの辺で今日は終わらせてもらいます










子どもにペットみたいな名前をつける親は、育て方もペット感覚 

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