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2010年10月4日月曜日

政治色の強い北方領土問題


最近になってようやく北方領土問題の全容が見えてきましたので、まとめがてら報告いたします


さてさて、いきなりですが日本が領土問題を抱えているのは実は北方領土だけではありません
①日露間の北方領土(正確には北方四島か)
②日韓間の竹島(突っ込んで言えば対馬も)
③日中間の尖閣諸島

②については国際司法裁判所へ持ち込めば日本の領土として解決することが見込まれています

歴史認識しかり、韓国政府にはツッコむ気になれないのは私だけ?
まぁそのうち経過が把握できたらまとめてみたいと思いますけど

③についてはさらっと触れますと、
(まぁいつもどおりwikipediaからの拾い上げが主なんですけど)

  1. 日清戦争中から領有(おそらく下関条約)
  2. 太平洋戦争により連合国の管理下
  3. 1952年サンフランシスコ講和条約で領土の処分が決まる
    (他国の領有権はこのときに主張しておく必要があったはず)
  4. 1969-70年国連による海洋調査により石油の埋蔵が確認される
    と同時に台湾が採掘に乗り出す
  5. 1972年沖縄の本土復帰と同時に尖閣諸島も返還されている


この①~③の領土問題の中で、日本政府が唯一、返還姿勢を強固に推進しているのが北方領土の領有権問題です

対するロシアの姿勢はどうか


日本の批判封じる戦術 「対日戦勝記念日」法が成立 (1/2ページ)

ロシアのメドベージェフ大統領は25日までに、日本が第二次大戦の降伏文書に調印した9月2日を事実上の対日戦勝記念日に定める法改正案に署名し、同法は成立した。新記念日の正式名称は「第二次大戦終結の日」。消息筋によると、大統領府は議員らの法案提出に先だって記念日名から「対日戦勝」を外すよう政界を指導し、日本の反発を封じる戦術をとった。日本外務省も表だった批判を抑えている。

以下略

今年に入ってロシアは上記の記事のような法改正を行っています
これは後述する「戦争の終決日」(=「領土の確定日」)をにらんだ布石と見るのが一般的です

では実際の1945年の太平洋戦争中からの経過はどうなっているか、確認しましょう


以下はwikipedia「北方領土問題」の「ソ連の対日参戦」から(斜体の文字が引用。黄色く塗ったのは私の付け足し)
  1. 8月6日広島市への原爆投下
  2. 8月8日 ソ連、(日ソ中立条約の一方的破棄と)対日宣戦布告
  3. 8月9日長崎市への原爆投下
  4. 8月10日 ポツダム宣言の受諾を連合国へ伝達
  5. 8月11日 ソ連、南樺太の国境を侵犯し侵攻
  6. 8月14日 ポツダム宣言の受諾を決定
  7. 8月15日 日本国民に向けて玉音放送
  8. 8月18日~8月31日 ソ連、カムチャツカ半島方面より千島列島に侵入する(占守島の戦い)。以後、得撫島以北の北千島を占領
  9. 8月25日 南樺太を占領
  10. 8月28日~9月 1日 択捉・国後・色丹島を占領
  11. 9月2日 連合国への降伏文書に調印。(一般命令第一号発令。本命令により、千島の日本軍は赤軍極東戦線最高司令官に降伏することが義務付けられた)
  12. 9月3日~9月 5日 赤軍が歯舞群島を占領

戦争の大勢が決してから、ロシアは中立条約を一方的に破棄して宣戦布告をしています
きたない;^^

また、蛇足ながら

wikipedia「太平洋戦争」の「戦争末期」の6段落目から
日本政府は中立条約を結んでいたソビエト連邦による和平仲介に最後の期待を賭してポツダム宣言を黙殺する態度に出た。


説明の補足として、

・日本は玉音放送(8/15)を終戦記念日にしている
・1952年4月28日に結ばれたサンフランシスコ講和条約によれば、降伏文書に調印した1945年9月2日以降も戦争は継続していたことになっている
・ヤルタ会談で、アメリカはロシアに①日ソ中立条約の破棄、②対日参戦、の2つを働きかけていた



以上、事実だけをただつらつらと羅列してみましたが、いかがだったでしょうか
この問題については結論が出ているような気がするのですが、実は政府も態度を決めかねているような気がしてなりません

ただ、政権交代の前後を問わず、鈴木宗男氏が北海道比例ブロックから選出されて国への関与を継続していますので、北海道の人たちは結論を出しているような気がします
(もっとも氏はほかにもいろいろな問題に手をつけているようですが)

しかし行政側、というか官僚側は「四島返還」を強硬に推しているようです


欧州局長人事が波紋 宗男氏は反発

20日発令の外務省人事で、対ロシア政策を担当する欧州局長に、北方領土返還の方法をめぐり自民党時代の鈴木宗男衆院外務委員長と激しく対立した小寺次郎元ロシア課長が昇格したことが波紋を呼んでいる。省内では小寺氏の局長起用は順当で、「領土問題解決に対する岡田克也外相の意気込みの表れではないか」(同省筋)とされているが、鈴木氏は「領土問題が進まないのではないかと心配している」と反発している。

北方領土返還交渉をめぐり、かつて対露外交に影響力を持っていた鈴木氏は「段階的解決論」を主張、ロシア課長だった小寺氏は「一括返還」と反対した。小寺氏は平成13年3月に英国公使を発令されたが、翌4月に就任した田中真紀子外相が「自民党有力議員の意向だ」として、小寺氏を復職させる事態となった。

以下略
2010.8.23 MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100823/plc1008232336012-n1.htm


私は鈴木氏の「段階的解決論」が何を意味するのか分かりかねます
(「段階的返還論」なら分かりますけどねぇ...ってこれが産経のミスリードだったら恐いですけど)

そして「一括返還」を支持します
しかし、方策は何ひとつ思いつきません

例えばロシア人が日本人と似たような民族性だったなら、政治決着を迫ることもできます
(日本人が韓国に「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」を『お渡し』したのは、条約に基づくものではありませんでした)
しかしロシア政府に政的圧力をかけることも、ロシア国民の同情を引くことも、日本には不可能でしょう

だから中座した二島返還決着も、実は現実的な観点だったのかなぁと思っています


ここまで読む前に気づいた方もいると思うのですが、北方四島の領土問題について日本の領有権主張は国際的な理解がなかなか得られないんじゃないかなぁって

日ソ中立条約の一方的な破棄に違法性があれば別ですけど、戦争の終決以前の侵略行為じゃないですか

しかもヤルタ会談で乞われて参戦した
(タイミングは最低最悪だったにしろ)

もしくは国境画定に際しては、特別な補償金の形で決着を図ることもありでしょうか
あ、補償金で思い出した

シベリアに抑留された韓国人(当時は日本国籍を有していた人たち)への補償は、ロシアへ請求してほしいと思います

強制抑留と強制労働はロシアがやったんでしょ?
なんで日本が払ってるんだろ

2010.8.29

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